ミニマリストの向こう側

正しさより優しさ

下書き放出② 疲れ

スマホでインスタ、ツイッターフェイスブックくらいしか見るものがない。全然おもんない。しかも疲れちゃう。

SNSを見ていると発信者は本当はこういうことを言いたいんだろうなあとか、こういう弱さを隠そうとしているんだろうなあとか深読みしちゃうというか、無意識にこれを繰り返してしまうからとても疲れてしまうんです。

 

いわゆるHSP、繊細さんっていうやつです。わたしがっつりこれに当てはまるんですよ。誰かが怒っているのとか、悲しんでいるのをすごい敏感に察知して気を使ってしまうんです。

 

それを知ったうえで考えすぎないようにとか気を付けるんですけど、気を付けてもやはり疲れんすね。

 

色々見聞きしていくと、結局人間のやることなすこと本当は意味なんかないはずなんですよ。万物万事、人間が何かしら意味を付けているのが基本だと思うんです。

 

となると本当に人間がすべきはお金を稼いで、ご飯を食べて、楽しくすごすことなのかと思ってきました。

 

まさにミニマリズム。思考の断捨離。思考をシンプルにするための身の回りの断捨離。

なんか楽しいことねーなーと思っていましたが、やっぱり断捨離し続けることが一番の生きがいになるなと思い始めました。

 

話少し戻りますが、食事なんかも美味いもん食ってたら太ったり、病気のリスクになったりなんも楽しくねえ。シンプルにうまくて体にいいものを極めたいですが、小さい子どもたちはなんも食わねえ。頑張ったら食べてくれるけど難儀ですよ。

 

HSPにはミニマリズムが合うけど、育児とHSPミニマリズムは合わねえです。

そんな矛盾を抱えながらもただただ人は生きていくのです。

 

ちなみに子どもは3人いると、3人同時育児はなかなかハードモードです。夫婦で協力してても最近は無理ゲーに感じています。

 

感じ方は人それぞれですが、育児に係るものは社会はたくさん贔屓してあげるべきだと思いますよ。明石市長なんか神ですよね。

 

今の日本や世界は貧困まっしぐらな暗いニュースばかりですが、貧困はいずれ戦争に向かうような気がして怖いです。

 

人間は歴史を繰り返すそうですよ。ファッションがブームを繰り返すように人類はなんでもすぐ忘れちゃうんですって。確かに。

 

しかし、何がどうなろうと一個人では何も変えきれないことを思うとただただ深い意味のない人生を最低でもひもじくしないで、健康で、楽しいことを多く生きることしかできないなあと思うのでした。

 

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